カレイドスコープ −水色の記憶を覗くとき−


Essay ひさっち Photo Icchiy

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坂下の豆腐屋さん 一輪の桜
内藤橋 私たちのパラダイス
おっさんち 青い、蒼い、ブルーの絵
メッセージ アジュジュちゃん アジュジュちゃん
ハンドリガード 隣の庭 - Butterfly Garden -


序 章 ―Prologue―


自転車を押して長い坂道を上がりきると、その町には少女時代の私が立っている。

少女の私はショートカットの黒髪で、腕も頬も一年中、こんがりと陽に焼けている。
見覚えのある、胸ポケットに花模様が三つある懐かしいそのブラウス。
内弁慶だったあの頃の私は、少し照れくさそうな瞳で 大人になった私を迎えてくれる。



坂下の豆腐屋さん

夕方になると、通称“坂下”と呼ばれている、まさに長い坂の下にある国立市の小さな商店街の豆腐屋さんが、一日おきに我家のある町一帯へ自転車に乗って豆腐を売りにまわって来ていました。
私の記憶にある4〜5歳ごろから24〜25歳ぐらいまで、少なくとも20年間は豆腐屋さんと我家との付き合いは続いていました。

幼少時代の私はよく地面にしゃがみこんで“書ける石”で道路に絵を描いたり、近隣の敷地に入り込んで塀の裏に隠れて缶蹴りなどをやっていました。
よくある、子供の遊ぶ風景。
そんなことをして遊んでいる夕方に、必ず豆腐屋さんは「プワァァーッ」と揺れるような、こもったような温かみのある音のラッパを吹きながらやってきて、その音を聞きつけた母か祖母、近所の人が家の中から器を持って豆腐を買いに出てくる。
垣根の陰で中腰になり、こっそり隠れて鬼の様子を窺っている私を見ると、「いたの…?もう帰りなさい」と母の声。
そんな声を出されては鬼に見つかってしまうので、「シィィーッ」と顔をしかめ、体中をいっぱいに使いながら強く静かに抗議した記憶があります。

そして私が社会人になって数年。
豆腐屋さんは来なくなりました。
自宅、お店、工場を兼ねた小さな豆腐屋さんのうちでは、もう豆腐を作る機械が擦り切れて壊れてしまったそうです。
また再び機械を直してまで豆腐を作り続けはしないのだと、最後に挨拶しに来た時に言っていたらしい。
会社員になっている息子さんも、家業を継ぐ気はない…と。
私はおじさんの最後のお勤めの日に会っていないけれど、人柄のよいおじさんの寂しそうな笑顔が浮かびました。


内藤橋



内藤橋には、三人でよく行った。
おばあちゃんと、弟と、私。

まだ明るい夕方で、買い物帰りの自転車に乗った近所のおばさんたちと途中で何人にも会う。

内藤橋には、ほんとうに しょっちゅう行った。
うちから歩くと7分ぐらいだった。
橋の下を走るのは、オレンジ色の中央線。
トトン トトン、トトン トトン… 
そろそろラッシュの時間だからたくさん通りぬける。


橋の上で夕陽の眩しい西側の手すりにつかまりながら線路の彼方を見すえると、立川の高島屋の赤いネオンがぼんやり見えていた。
その もっとずっと空に近い向こうには、薄墨のようなシルエットになって黙って座っている富士山の姿も小さく見えた。
橋の反対側に渡って、逆側の欄干から東の空を見渡すと、グレーのような水色のような、冷たくなりかけていく東京方面の雲が遠くまで見えた。
この頃のJRはもちろん国鉄だったし、近くの西国分寺駅はまだできていなかった気がする。

あの頃の内藤橋は、今のように明るい水色で塗装された鉄骨の剥き出すスタイルではなく、表面が軽石のように見える、石造りのザラザラした黒っぽい狭い橋だった。
弟がヨチヨチ歩きをしていた頃、おばあちゃんは弟を抱き上げて、橋の欄干から落ちないようにしっかりとつかまえて座らせ、やってくる電車を見せていた。
弟はよく欄干から両足をぶらぶらさせて、ご機嫌だった。
いつだったか弟は、両足に履いていた小さな運動靴をバラバラと、はるか下の線路わきに落としてしまったことがある。
下で作業をしていた線路工夫のおじさんに靴を拾ってもらい、おじさんはススキの茂る土手をのぼって橋の袂までそれを持ってきてくれた。
弟はニヤニヤしていた。
その後日、弟はまた同じように靴を落としたので、こんどからは靴を脱がせて抱え上げることになった。


そして弟がやや大きくなってチョコチョコ動き回り、落ち着かない歳になった頃にも、内藤橋には三人でよく行った。
歩いて行った。
おばあちゃんと、弟と、私。

弟は電車が大好きだった。
トトン トトン、トトン トトン…
トトン トトン、トトン トトン…
西から東、東から西、いつも変わらず電車たちは、足もとをけたたましくスピードにのって駈けぬけていく。

「あっ!来たぁっ!」
ワクワクした。こんどは何が走ってくるのか。
特急あずさ号の時もある。貨物列車のときもある。
弟は ほぼすべての列車の名前を知っていて、車種を見るなり絶叫する。
「来たっ! トツエツタイソツだーっ!」
      (特別快速だーっ!)
まだ口がまわらない弟は、特別快速の列車がやってくるたびに興奮が倍増した。
弟と私は橋の欄干から身を乗り出し、やってくる電車の運転手に向かって ちぎれるほどに手を振った。
「バイバーイッ!」 「バイバーーーイッ!」
二人とも運転手に気づいてもらうため、全身を使って飛び跳ねながら黄色い声で叫び、一所懸命に両腕ごと大きく振り続ける。
何ごともなく黙って通り過ぎていく数々の電車のなかには、時々ちゃんと手を振り返してくれる運転手がいるから、それが嬉しくて毎度毎度、期待して手を振るのだった。

列車は登りと下りの両方向から同時に走ってくることもたびたびあり、慌ただしい駈け足でアッという間にすれ違っていく。
そんな時は橋の裏側に、いっそう けたたましい金属音の混ざった不協和音がキンキンと響き渡り、会話も途切れ途切れにほとんど聞こえない。
風がドッとかき乱され、橋が大きく揺れる気がした。

「また来たっ! 今度は両方から来たぁーっ!」
弟は甲高い声をあげて、すっかり興奮しまくっている。
目前にせまる列車に向かって両手を思いきり激しく振る。
小さな体で精一杯跳び上がり、運転手の目を惹こうとする。
すると、こちらのほうを見上げて微笑み、白い手袋で手を振り返してくれる運転手。
「やったぁ〜〜っ! 今度はあっち側だっ!」
驚喜に満ちたまま、私たちはすぐに橋の反対側の手すりへ走り、今度は橋の真下から前方へと轟音で駈けぬけていく その同じ電車の最後尾にこちらを向いて座っている車掌にもバイバーイ!を挑戦するのだ。
ツイてるときには運転手も車掌も、両人とも手を振って応えてくれたし、もっとスゴイときはファーーンッ!と大きくクラクションを鳴らし、ヘッドライトまでパパァーッと派手に点滅させてくれた。
「そう、わかっているよ!」と心得ていたように、大サービスセットで にこにこしながら応えてくれる。
乗務員のなかには、いつもこの時間、夕焼けに頬を輝かせてはしゃぐ橋の上の私たちのことを、すっかり覚えてくれていた人がいたのかもしれない。

カッコイイ〜!
運転手さんって、車掌さんって、なんてカッコイイんだろう! なんてワクワクするんだろう!
あの運転手さんや車掌さんたちも、きっと電車が大好きな少年だったに違いない。
きっと私たちのことを見て、子供の頃の自分と重ね合わせて思い出しているんだろうな。
きっと、きっと、きっと…。


――そんな嬉しい興奮でいっぱいの帰り道は、とても満足げにウキウキしながら手をつないで帰った。
電車の近づく音に、また振り返り 振り返り、歩いて帰った。
おばあちゃんと、弟と、私。
おばあちゃんはよく、いろんな鼻歌をフンフンと口ずさみながら歩いていた。

トトン トトン、トトン トトン…
トトン トトン、トトン トトン…
あたりは もうだいぶ暗くなっている。
わずかに残る太陽のかけらは弱々しく、儚く、そして美しい。
遠ざかる紅いテールランプと、銀色のパンタグラフ。
いくつもの疲れきったお父さんたちの顔を乗せ、今日もたくさん たくさん快速電車は走り過ぎていく…。



内藤橋。今では年に数回だけど、私は車を運転してここを通る。
おばあちゃんを乗せて、結婚した弟の新居へ行く時に、必ずここを通り過ぎる。





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