Essay By ヒサッチ Photo by Icchiy&pal-mama

当時、うちのお向かいの家の裏庭にこっそり忍び込み、そこにある物置小屋と垣根の間の薄暗い隙間を中腰になって つたって行くと、自分より背が高くて鬱蒼と緑の葉を茂らせた桑の畑に突きあたった。
その桑畑に入ってさらにグングン向こう側の土地まで突き抜けると、そこには私たち近所の子供たちだけの“秘密の原っぱ”が広がっていた。
秘密だなんて言っても、ひとつ隣の裏通りのほうから回って行けば、あっさり簡単に行けてしまう普通の空き地。民家と民家の間にポツンと放置されている、奥まって目立たないけれど大人だって誰だって、本当はみんなが知っているはずのただの空き地だ。
でも、そうやって正当な道路から回って行かずに わざわざ道なきところから苦労してくぐり抜ける行き方でたどり着いたとき、突然目の前にパァーッと魔法のようにまばゆく広がる緑の草原は、私たちからすればどうしても“秘密”なのであり、絶対に“パラダイス”なのだった。

そこは私たち子供の膝の高さや目のあたりぐらいまでにも伸びた様々な雑草たちが生い茂り、特に初夏にはハルジオン(春紫苑)やヒメジオン(姫女苑)の草花が多く、みんな野原一面、競うようにたくさん揺れていた。
ハルジオンとヒメジオンの花はどちらも白や薄ピンクの糸のような細い花びらで、長い茎には白いうぶ毛がたくさんついていて野菊みたいな姿をしている。
花に触れると、花びらは たんぽぽの綿毛のようにホロホロとすぐにとれてしまい、それらは暖かい風と光に乗って、パラパラ、キラキラあちこちへ舞い飛んでいく。
とっても可愛い草花なのに、彼らは俗に“びんぼうぐさ”とも呼ばれている。
摘んだら貧乏になるとか、散った花びらが目や耳に入ると病気になるとかっていう話を聞いたことがあるけど…そんなことは昔も今も、きっと嘘だと思っている。

ハルジオンとヒメジオンはそっくりな仲間。こういう空き地や道路の片隅によく一緒に繁殖している。
でも、どっちがハルジオンでどっちがヒメジオンなのかは、野草オタク?のおばあちゃんにもう一度聞かないと見分けのつけかたを忘れてしまった。
たしか花の咲く時期が少しだけずれているのと、葉っぱや花のついた茎が空に向かってピンと立っているか下に垂れているかの違いだったかな。
ある日、そのハルジオンたちの咲き乱れる秘密の原っぱの上空あたりに、なぜか灰色の煙が立ち昇っていて、ゆっくり流れていくのが見えた。
同時に、なんとなく騒がしいただならぬ気配も感じて、私は慌てていつもの方法で薄暗く茂る桑の枝を掻き分け、パラダイスへとダッシュで駆けつけた。

原っぱには裏通りから回りこんだ赤い消防車が一台来ていて、何十人かの大人たちが とりこんだ様子でウロウロしていた。数人のお巡りさんの姿もあった。
そして、わりと近くに住む1学年下の顔見知りの男の子が、その母親にお尻を強くぶたれて涙をポロポロこぼしているところだった。
男の子がそこで独りで爆竹をやっていてボヤをだしたらしい。
消火はもうすでに終わっていて、草原は ほんの一部分だけ草木が黒く焦げ、その焼けた匂いと、周りで水をかぶって焼け残った草葉の青臭く蒸したような何とも言えない夏っぽい匂いが混ざり合ってプァーンと漂っている。

「さあさあ、もう みんな帰りなさい。」
大人も子供も、消防署の人たちも、後片付けを終えて戻っていく。
私は知らない大人に背中を押されて帰りかけながら、少しだけ焦げ臭くすすけたそのパラダイスを振り返った。
ハルジオンとヒメジオンの長い茎は、この騒動でたくさん踏み倒されたりズタズタに折れ曲がったりしていたが、まだ明るく強いオレンジの西陽が差す中、風に揺れてたくさんの細かい花びらをチラチラ振り舞いて、その健在さを力強くアピールしていた。
「僕たちと この原っぱは、それでも元気なんだよ! またすぐに元通りになるさ!」
そんなふうにヒメジオンたちが言っているような気が、たしかにした。
少しぐらいではへこたれない逞しい生命力みたいなものを、黄緑に輝く原っぱ全体からも強くはっきり感じた。だから私は少しだけ安心した。
そして、その事件から何日かが過ぎて、私は気になっていたあのパラダイスへ一人で行ってみた。
もちろんいつもの方法で、桑の枝葉をガサガサ掻き分けて進むコースを使った。
けれど、その日は以前と様子が違っていた。
桑畑から原っぱへ立ち入る境界のところへたどり着くと、そこにはピカピカした銀色の新しい有刺鉄線、――バラ線――がキッチリと張り巡らされている。
ハッと息を呑んで、私は慌てた。
くぐろうと試みたけど、新しいバラ線は簡単には弛まず、鋭く光る長いトゲが私の腕や腿、カーディガンを容赦なく突き刺し、引っ掻いた。
しかもバラ線ごしに見える原っぱからは、あの一面に揺れて咲くハルジオンたちの姿が消えていて、綺麗さっぱり芝生のように他の雑草たちも全て刈り取られていた。
子供がここに入ってボヤをだしたからか、もうこれからは簡単に立ち入れないように厳しく空き地を管理するつもりらしい。

――あの日の幼い男児の過ちは、いつしか許されていく。
だから、そんなことはもういい。――
けれど、私はあの日からずっと抱えていた正直な気持ちを言ってみれば、仲間だけの秘密だったはずの神聖?なる場所に、火事だったとはいえ 大勢の知らない大人たちが一斉にドカドカ立ち入っていたり見物に集まっていた光景が、どこかショックでいつまでも忘れられそうになかった。
このバラ線もショックだけど、本当はボヤよりも何よりも、それが一番ショックなことだった。
もちろんあそこはうちの土地などではなく、どこかの誰かが保有する土地なんだけど、魔法の薄暗いトンネルをくぐり抜けると急に眩しく目前に広がる、まぎれもない自分たちだけの楽園……秘密のパラダイスだったんだもの…。



このごろ、ハルジオンやヒメジオンは激減した。
あの頃はどこを歩いても、アスファルトの端のちょっとした隙間なんかにも元気よくニョキニョキ生えていて、雑草だからとよく引っこ抜かれてたぐらいいっぱいあったのに。
風に吹かれるハルジオンたちに また会いたいな。
茎を折って宙に振り回すと、光の中に花びらが散って雪が降るみたいだった。
その中を小さな羽虫たちがブンブン勢いよく飛びまわっていた。
その手が、青臭い葉っぱの匂いに染まったっけな。

私たちのパラダイス。小さな思い出。
そんなことを ふと思い出しながら、最近、街の歩道を歩いていた。
私たちのパラダイス。心の奥に残る一つの風景。
ささやかでもいい。これからまたどんな心に残る風景に出逢え、それはもっと先々の私にとって どんな懐かしい小さな心の楽園の一つとなっていくのだろう。

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