Essay By  Hisa
P
hoto By Macchiy & Icchiy


なんということか。その日は3、4時間目に二時間も図画工作の授業があるというのに、私は水彩絵の具の道具一式をすっかり忘れて登校してしまった。
てっきり教室に置いてあるものと思っていた。小学二年生の時だった。

当時、クラス担任だった少しふっくらした年配の女性の先生は、国語と図画を教えることが特に熱心なベテラン熱血先生で、うちの母はいつも「良い先生が担任にあたってよかった」としきりに絶賛していた。
けれど、私はこの先生がちょっと情熱的すぎたりモノの言い方がキツイときもあったりしたので、普段からなんとなく苦手だった。


私は物心ついた時から絵を描くのが大好きだった。
外で遊ぶのも好きだったけど、裏が印刷されていない新聞折り込みチラシや、はがし取った大きなカレンダーの裏紙などが目に入れば、すぐに夢中になって絵ばかり描きはじめるような子供だった。
絵と言ってもいろいろあるけれど、私の描く絵のほとんどは漫画タッチの女性の絵で、それは鶴のマークがベレー帽についていて首からエンジ色のスカーフをなびかせている制服姿のスチュワーデスだったり、少女漫画の主人公的な、大きな目とまつ毛の中に星がキラキラ輝いていて、長くカールした金髪が風に踊っているお姉さま…という、女の子の絵によくあるかんじの想像上の美人系キャラクターが多かった。
そしてそれらに“吹き出し”をつけてセリフを書きこんでみたり、コマ割りもしてストーリーのある漫画にすることもあった。
時には猫やウサギが主人公の4コマ動物漫画も描いた。

そんなふうに私は何ページかにわたる漫画を描いてはタイトルをつけて簡単な月刊漫画雑誌のようにして束ね、その表紙、目次、なぞなぞコーナー、来月号の予告ページ、付録の塗り絵までも描いて周りの友達に見せていた。
べつに自慢するつもりなどはなく、ただ誰かが自分の描いたものを楽しそうに読んでくれるのが嬉しかった。
小学生だからストーリーもなにもそれなりに幼稚な漫画だったはずだが、友達が集まってきて「次、見せて〜!」と回し読みしてくれたり、次回に話が続く物は次の展開を期待してくれたので、子供ながらに やり甲斐を感じていたのだと思う。
学校で友達に漫画を見てもらうことは私ならではのコミュニケーションの一つでもあったし、とにかく何か描いている時は頭の中に色々な想像がかきたてられ、細胞がはじけるのがわかるかのようにウキウキ楽しかった。

私は大人になったらキリッと格好いい婦人警官やスチュワーデスになりたいと常々言っていた。
だけどそれは外見的な憧れだけで、本当の心の底ではどこかずっと漫画家やイラストレーター、服飾デザイナーなどになりたかった。そういう職業の横文字名称などあまり知らなかったけれど。
でも今でこそ世界中の幼児から大人までの心を潤わせてくれる美しく素晴らしい感動作溢れる漫画やアニメーションの世界だが、当時の世間は特に“漫画本”に対する評価が低く、あまりイメージがよろしくなかったようだし、その夢を親たちに語ってもあまり喜んでもらえない職業のような気がして、
「漫画家になりたいの?なるの?」
と聞かれても、それをなんだか肯定しづらくてハッキリ口に出すことなどできなかった。


そんなふうに描くことが大好きな私だったが、実は学校の図画の授業はあまり好きではなかった。
なぜなら、先生は私の描く絵を見るたびにいつも露骨に否定するからだ。
「あなたの描く絵は死んでいる!子供らしさが感じられないね。イキイキしていなくて、人間はまるでマネキン人形みたいだよ!ほら!」
いつも巡回してくるなり悪い例として皆の前に絵をかざし、大声でこう言われる。
私はそれがとても嫌だったし、辛かった。
クラスの友達はよく私が描く漫画的な絵を誉めてくれたけど、先生はそういうのを絶対に誉めてくれるわけもない。
先生にとってどんなタイプのものがお気に召す良い絵なのか、どう描けばわりと誉めてもらえるのか、本当は私なりには分かっているつもりだった。
でも、私にはどうしても そういうものが描けなかった。というか、描きたくなかった。
イヤな言い方をすれば、わざと描こうと思えば そういう子供らしい、芸術らしいと言われそうな、あどけなくて元気なタッチの物も描けただろう。
でもそれをやるのは私にとって、べつに楽しいものではない。
先生の顔色は図画の時間が回ってくるたびにいつもビクビク気になったけど、誉められたいがために自分の画風を変えることはできなかった。

というわけで授業で配られる大きな白い画用紙に、私は毎度 少女漫画風の人物や風景を描き続けていたわけだが、今回は絵の具の道具を忘れてしまったので色付け作業のときは何をすることもできない。
隣の席の陽子ちゃんに絵の具を少し貸してもらうしかない。



陽子ちゃんは絵の具の道具を貸してくれると言ったけど、私は自分の道具ではないので 好き放題に色々な塗料を混ぜて自由自在…というようには使いづらかった。
例えば、本来なら人間の顔の色らしく塗りたいところには黄土色がかった肌色を調合するために何種類もの絵の具を混ぜて、納得する肌色になるまで何度も色材を加減するところだが、自分のものではないという遠慮が大きく働いて、どうしてもたびたび絵の具のチューブを借りることができない。
しかも、陽子ちゃんの絵の具には肌色に使いたいと思う色材がほとんど無くなっていて、どうにもこうにも足りなかった。
借りられる絵筆も一本しかない。
陽子ちゃんと一緒に使わせてもらう小さなパレットの片隅に、とっても遠慮がちに少量の絵の具を溶く。
やりにくい。情けない。けれど仕方がない。忘れ物をした自分がいけないんだ。

私はだんだんヤケになっていた。
ほとんど一つか二つの青と黒の絵の具だけに手をのばして水で溶き、実際にはあり得ない幽霊のように真っ青な顔色の二人の友達と自分がうちの庭で遊ぶ絵が出来上がっていった。
そして本来なら鉛筆で薄く描いた下描き線はなるべく目立たないようなかんじで上から着色するつもりだったが、今回はわざと下描きふちどり線も黒い絵の具で墨絵のようにくっきり荒々しく描きなぐり、やたら人間の肌だけを薄く水で溶いて、青白い顔や手足に染めた。
黒い輪郭線のあちこちが薄めすぎた周囲の青色と混ざり合い、ろうけつ染めのようにぼんやり滲んだ画用紙は水を吸ってボロボロ。
なんだかとても薄汚くて、気味が悪い絵だ。
描かれた人間の洋服はそれぞれチェックだったり水玉にしたり、模様だけはどうにか変化をつけたつもりだったけれど…結局は やはり青と黒ばかりの服。
力強くオレンジ色に照りつける太陽や、まばゆい新緑の色に塗るはずだった賑やかな初夏の明るい庭も、何もかもが薄暗いブルーグレー系の世界に溶け込んでしまい、塀の色さえ青ずんで哀しいほどの蒼空へ、高く冷たくグラデーションになって続いている。

――本当はこんなウソっぽい色にしたくない。こんなのは私の絵なんかじゃない!――
私は大部分が ほぼ真っ青になって、水分でフニャフニャにふやけて滲んだ自分の絵に腹が立った。
そして自分自身もいっそうブルーな気持ちいっぱいに落ち込んで、今にも泣きそうだった。


そして案の定、というか なんと言うか…、先生はそんな私の絵を見て誉めまくった。
「こんなに面白い伸び伸びした絵が描けるなんて素晴らしい!心に感じたままの絵が描けたのね。あなた、やればできるじゃなーい!すごくいい絵だよー!」と。
私の頬っぺたや髪の毛をグチャグチャに乱れるほど撫でまわし、やたら感激している。

その絵を提出して何週間かたったある日のこと、先生は皆にそれぞれの絵を返却しながら、私のあの青い絵は 新しい図工の教科書に生徒の作品として載るかもしれなくて、または何かの教材に使われることになりそうだろうから返却できなくなったというようなことを言った。
私の気分は複雑だった。
どうしてあんな絵が…。
人に絵の具を借りて、遠慮しながら渋々描いた絵。不本意な、青い、蒼い、ブルーの絵。
――人の評価っていうのは不思議なもの。――



そしてまた今週もやってきた図画工作の時間。
先生は私の傍に寄ってきては、相変わらず大声でこう嘆く。

「あなたの描く絵は死んでるよ!子供らしさが感じられないね。あんなにいい絵が描けたのに。どうしてなの?これじゃマネキン人形みたいだね… もっと思うままに描いてごらん! もっともっと、思うままに!…」



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